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東京高等裁判所 昭和28年(ネ)1207号 判決 1957年12月25日

控訴人 毛利とし

被控訴人 東京都

主文

本件控訴を棄却する。

控訴人が当審で拡張した請求部分を棄却する。

当審における訴訟費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し、金百万円を支払うべし。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求めると申立て、被控訴代理人は主文第一、二項同旨の判決を求めた。

控訴代理人が本訴請求の原因として陳述した事実の要旨は、次のとおりである。

一、事件の発端

控訴人毛利としは、長男浩が昭和十六年大阪大学を卒業し、東京工業大学に赴任したので、一家と共に東京に移転し、同大学に隣接する目黒区緑ケ丘二九九一番地の借家に居住して、同大学の敷地の一部を係員の許諾を得て畠として耕作していた。

ところが同じ隣組に住む同大学の守衛で校内見廻り役をする訴外前川友三郎なる者が、終戦後同大学の資材を倉庫に隠し置き、退出後少し宛つ私宅に運び込んでいたが、これを運ぶにはどうしても控訴人方の畠を通らなければならないので、勤務を終えて夕刻耕作に取りかかる控訴人一家にその犯行を目撃されることを恐れ、控訴人方を邪魔にし、その耕作を止めさせようとして、畠管理の係りでもないのに、人前で「種をまくな」と怒鳴り、控訴人が同大学の木を切つたと無根の事実を係員に告口したり、その他あらゆる厭がらせをした。そこで控訴人は困却の余り、昭和二十二年十一月二十四日警視庁に出頭し、防犯課岡元勇警部に面会して前川友三郎の窃盗の事実を申告した。同警部は直ちに部下の向家力蔵警部補をして、電話を以て所轄碑文谷警察署に対し、前川の窃盗事犯につき調査すべきことを命令した。

二、杉尾巡査の違法行為

碑文谷警察署勤務の防犯係巡査杉尾七郎は、警視庁防犯課の命により、前川友三郎の窃盗事実を取調べるとて昭和二十二年十一月二十六日控訴人方を訪問したので、控訴人は同人の犯行につき話したところ、同巡査は改めて来ると称して立帰つたまま、その後何等の処置を取らず、同署捜査係にも連絡せずしてこれを放置した。

(一)  それのみでなく、杉尾巡査は右帰途、前川友三郎の隣家なる西松某方に立寄り、「控訴人が前川のことを警視庁に訴えた」と内通した。

(二)  西松から杉尾巡査の内通を聞いた近隣の河野貞枝は、同年十二月八日碑文谷警察署に杉尾巡査を訪れ、「控訴人が面会を強要して困る」と誣告したところ、杉尾巡査は事の真偽を確めることなく、右河野に対し「面会を強要して来たら断ればよい。断つてもきかなければ駐在所にでも云いに行きなさい。」との指示を与えた。

(三)  杉尾巡査が右のような違法の指示をしたため、控訴人が昭和二十三年九月十四日大阪より帰京の際、隣家田中精之助方に挨拶に赴くや、河野貞枝を初めとし、控訴人に係る家屋明渡訴訟の利害関係者が直ちに緑ケ丘巡査派出所に到り、予て杉尾巡査より「毛利が来たら派出所へ連絡するよう」に言われている旨申出で、その結果清水、近藤の両巡査が控訴人方に出動した。

(四)  右警官出動の直後、控訴人が碑文谷警察署に赴き、日野警部に対し「控訴人を派出所に突き出せとの杉尾巡査の命令により緑ケ丘交番の巡査が飛んで来て私の臂を掴みました。お調べ願いたい。」と訴え出たところ、同警部が杉尾巡査に「毛利さんが来られたが、毛利さんを知つているか。」と尋ねたのに対し、同巡査は「警視庁から視察せよと云われている人です。」と偽り、日野警部に耳打ちして同警部をだまし、控訴人を精神病者の如く作り上げて控訴人の名誉を侵害した。

(五)  杉尾巡査は前記の如く警視庁防犯課から前川友三郎の窃盗事犯の取調を命ぜられていたにも拘らず、これを見逃して置いた責任を免れる為めと、日野警部に対し、控訴人が警視庁より視察せよと云われている人物なる旨を告げた言辞の裏付を作るため、昭和二十三年十月十三日付で失効した警視庁内訓第一号非監置精神病者視察規程に基いて、控訴人を青色紙非監置精神病者名簿に、非監置妄想多動官庁訪問癖として記入し、これに松田碑文谷警察署長及び日野警部の押印を得て、控訴人を完全に精神病者なるかの如く捏つち上げた。

これは職権濫用の違法行為であつて、人権侵害も甚しく、控訴人は現にその名簿によつて精神病者として視察され、人権を侵害されているのである。

三、近藤利雄巡査の違法行為

控訴人は隣家田中精之助方とは、互に留守する際、いつも往き帰りに挨拶するのを例としていたので、昭和二十三年九月十四日午前八時頃、旅行先なる大阪より帰り田中方に挨拶に行つたところ、間もなく碑文谷警察署緑ケ丘巡査派出所の近藤巡査が、小倉美代等にだまされて飛んで来て、いきなり控訴人の右腕を掴んだ。控訴人は関係者双方を呼んで調べて呉れるよう頼んだが、一向に聞入れず、調べて呉れなかつた。

四、日野寿警部、松田治吉郎署長、杉尾巡査並に歴代署長を含む碑文谷警察署員の違法行為

(一)  昭和二十二年十一月十四日警視庁防犯課の向家警部補より電話を以て碑文谷警察署の防犯係に対し、控訴人の告発に係る前川友三郎の窃盗事犯につき取調方の命令があつたのに拘らず、碑文谷警察署当局がこれを見逃していた事実が前記緑ケ丘巡査派出所の巡査不法出動事件により表面化するや、控訴人が警視庁より視察せよとの内命ある者であるかの如く云いなして誤魔化していたところ、同年九月二十一日付で訴外田村ミキ外数名より東京地方裁判所に宛て、「九月十四日裁判に関する件で当人(控訴人を指す)が田中へ来た処を皆で派出所に連絡し、警察官二名の労を煩わした所云々」と記載した上申書(甲第二十一号証)を提出し、前川友三郎も右上申書の署名者中に名を連ねていたことに絡み、単に控訴人を警視庁の命による要視察者であると称するだけでは誤魔化し切れなくなつた結果、碑文谷警察署当局者はこのことを裏付け、控訴人を精神病者に仕立て上げてその責任を免れようと企てた。即ち同署においては控訴人が昭和二十二年十一月警視庁に行つたのは前川友三郎の窃盗告発のためでなくて官庁訪問癖なる精神病者であるがため何等の目的もなく出頭したものであること、及び警視庁防犯課の精神病係り斎藤巡査より電話を以て「毛利としと云う者が二、三度来たが普通ではないらしい。精神病者として登録してあるかどうか、登録してないならば調査の上必要あれば登録するよう、」に云われている旨偽り、職権を濫用し、当時既に失効していた前記非監置精神病者視察規程の第二条の二に基いて、控訴人を厳密なる視察を要する者と勝手に認定して、非監置妄想多動官庁訪問癖として登録した青色紙非監置精神病者名簿二通を作成し、うち一通を原本として碑文谷警察署に保管し、右規程の第四条に基き昭和二十七年九月二十日迄署員をして控訴人の動静を視察せしめ、以て控訴人の人権を蹂躪し、

(二)  また他の一通を謄本と称して警視庁防犯課に送達し、検察庁に対し「控訴人は昭和二十三年十月十三日登録非監置妄想多動性精神病、官庁訪問の癖として係り警察官に於て視察中」なる旨報告して控訴人の名誉を毀損し、

(三)  昭和二十七年九月二十日右非監置精神病者視察規程の代りに制定された警視総監田中栄一名義の内訓第七号精神障害者保護視察規程並に防犯部長等名義の例規(防犯)第六四五号「精神障害者保護視察規程制定について」が実施されるや、直ちに控訴人に関する前記名簿を新規程による精神障害者名簿としてそのまま襲用して現在に至り、控訴人を新規程による精神障害者とみなし、同規程第五条に基き防犯担当係員をして月一回以上控訴人の動静を視察せしめて、控訴人の人権を侵害し、名誉を毀損しているのである。

五、山口国雄巡査の違法行為

昭和二十四年五月二十八日控訴人とその夫毛利成一、長男浩の三名が予て東京工大の係官藤井事務官の許諾を得て耕作していた畠に、同工大守衛前川友三郎が造園の権限もないのに拘らず、中学生を使つて樹木を植え込み、畠を荒したので控訴人等は造園係り吉田事務官の諒解を得て右の樹木を他の空地に移植したところ、緑ケ丘派出所の山口巡査が前川の案内で入り来り、「コラ、止めんか。工大の先生の訴によつて警官としてやつて来たぞ、止めんか。」と控訴人等を怒鳴りつけ、隣人及び通行人の見ている中で、控訴人等に大なる恥辱を与えた。

六、遠藤竜次警部補の違法行為

(一)  控訴人の提出した告訴告発事件につき、東京地方検察庁福島検事の指揮を受けてその調査を担当した目黒警察署勤務遠藤警部補は、昭和二十四年七月九日控訴人の肩書と同番地なる被告訴人河野貞枝を呼び出して控訴人に関する事項を聴取し、「毛利は昭和二十三年九月十四日の朝田中の家に上り込み、怒鳴り散らしている処へ二人の巡査が顔を出しました。真夜中雨中に提灯をつけて種蒔をしたり、全く近所ではオチオチして夜も休めないから、毛利を精神鑑定して貰いたい。」等と、如何にも控訴人が精神病者であるかのように誠しやかに記載した供述調書を検察庁に回付した。控訴人は自分も呼び出して貰えば、河野等の申立が偽りであることが明かになると思い、遠藤警部補に実情を調べて呉れるよう再三申入れたが、同警部補は碑文谷警察署と電話連絡の上、どうしても聞き入れず、一方的に河野貞枝等の出鱈目な供述調書に基いて検察庁に報告した。

(二)  同警部補は更に碑文谷警察署員のため、控訴人を精神病者に捏つち上げて検察官の取調を狂わそうと図り、告訴記録中に存する家主対控訴人方(借家人)間の家屋明渡訴訟事件の利害関係者十三名が連署して裁判所に提出した、「当人(控訴人を指す)は益々こわい者無しにて常軌を逸した行動に出ると思われますので、ここに一同相談の上、上申に及んだ次第であります。」等と、恰も控訴人が常軌を失した行動をするかのように、控訴人を陥害した上申書の写を、わざわざ部下に写し取らせてその裏に河野貞枝をして署名拇印させ、河野貞枝が右十三名を代表してこの上申書写を持参提出したように作為するため、領置調書を作成し、差出人を河野貞枝と記載して検察庁に送付した。遠藤警部補のこのような行為は正しく職権を濫用した違法行為である。

七、以上は何れも被控訴人東京都の設置する自治体警察の職員がその公権力の行使に当つて職権を濫用し、違法に控訴人の人格権を侵害し、その名誉を毀損した不法行為に外ならないから、ここに被控訴人に対し、控訴人がそのために蒙つた精神上の苦痛に対する慰藉料として金百万円(原審では金二十万円を請求したが、当審において請求を拡張する)の支払をなすべきことを求めるため、本訴に及んだ次第である。

被控訴人の答弁

一、控訴人の主張する事実中、杉尾、近藤、日野、松田、山口、遠藤等警察職員の身分関係及び勤務先が控訴人主張のとおりであること、杉尾巡査が河野貞枝に対し、「控訴人が面会を強要したら断ればよい、断つてもきかなければ駐在所へでも云いに行きなさい」と告げたこと、清水、近藤の二巡査が昭和二十三年九月十四日三人の女の連絡によつて出動し、控訴人と種々話したこと、日野警部が同日控訴人と面談したこと、碑文谷警察署係官が非監置精神病者視察規程に基き同年十月十三日付で控訴人を青色紙非監置精神病者名簿に登録し、その原本を同署に保管し、謄本を警視庁に送付したこと、昭和二十七年九月二十日前記規程が廃止され、同日精神障害者保護視察規程が施行されるや、碑文谷警察署では控訴人を新規程による精神障害者とみなし、引続き署員をして控訴人を視察せしめたこと、山口巡査が昭和二十四年五月二十八日前川友三郎の連絡により、東京工大に出向いて控訴人並にその夫及び長男と対談したこと(但し控訴人主張の如き言辞を用いて同人等を怒鳴りつけたことは否認する)、遠藤警部補が福島検事の命により、控訴人申告にかかる告訴事件につき関係者を調査し、その供述を録取した調書を同検事に回付したことはこれを認める。

二、しかし、碑文谷警察署の当局者が前川友三郎の窃盗事犯を見逃したこと、碑文谷警察署において控訴人を非監置精神病者として登録したのが、控訴人主張の如く不法な動機目的に出たものであること、杉尾巡査が日野警部に虚偽の事実を耳打ちして同警部をだまし、控訴人を精神病者なるが如く捏つち上げたこと、近藤巡査が控訴人の右腕を掴んだこと、碑文谷警察署員が控訴人に関する登録並に視察のことを検察庁に報告したこと(その報告をしたのは、検察事務官河野円作であつて、同署員ではない。甲第四号証参照)、その他警察職員に控訴人指摘の如き非違不法の行為があつたことは何れも否認する。その他の事実は不知である。

三、警視庁の内規である非監置精神病者視察規程又は精神障害者保護視察規程は、何れも異常な行動をする者を保護監視することにより社会治安を維持することを目的として制定されたもので、それは警察本来の責務に属する。控訴人はその行状に照らし右各規程の該当者として認定され、名簿に登録されたものであるが、その名簿は一般に公表されるものでなく、警察所管の事務を遂行するための独自の内部的取扱にすぎないから、右登録自体は何等控訴人の人格を侵害するものではない。また被視察者を視察するに際しては、当該被視察者の状況に応じて適当な方法を取り、特に被視察者並にその家族の名誉を傷けることのないよう万全の注意を払つている。そして控訴人に対する視察に当つても、警察職員が控訴人の自宅或はその附近の民家に就き控訴人の動静を探索し、調査したようなことはなく、控訴人が偶々碑文谷警察署その他の官庁を訪問した際における状況をその関係職員より聴取するという間接的な方法で視察していたのである。勿論右視察の結果は係員よりこれを署長に報告するけれども、外部に対し発表することは絶対に無く、従つて視察により控訴人の人格又は名誉を毀損し、精神上の苦痛を与えた事実は全く存しない。

証拠方法

一、控訴人側

甲第一号証、第二号証、第三号証の一ないし五、第四号証、第五号証、第六号証、第七号証ないし第十号証の各一、二、第十一号証ないし第三十号証、第三十一号証の一、二、第三十二号証ないし第三十四号証、第三十五号証の一ないし五、第三十六号証の一ないし五、第三十七号証、第三十八、九号証の各一、二、三(但し第三十八号証の一は写)、第四十号証ないし第四十二号証の各一、二、第四十三号証、第四十四号証の一の一、二、同号証の二の一ないし七、同号証の三、第四十五号証、第四十六、七号証の各一、二、第四十八号証、第四十九号証、第五十号証の一、二を提出し、原審における証人岡元勇、日野寿、藤川辰三、妻川好子の各証言、控訴本人毛利とし尋問の結果、当審における証人斎藤幸一、近藤利雄、島崎次郎、向家力蔵、広瀬克己の各証言を援用し、乙号各証の成立を認めた。

二、被控訴人側

乙第一号証の一ないし六を提出し、原審証人藤川辰三、当審証人荒井竹三郎、三熊幸三郎の各証言を援用し、甲号各証のうち第三号証の四、第十九、二十、二十一、二十三、二十四号証、第二十八号証ないし第三十一号証の一、二、第三十三号証は不知、その余の甲号各証の成立(第三十八号証の一については原本の存在も)は認めると述べた。

理由

原審における控訴本人尋問の結果と原審証人岡元勇、当審証人向家力蔵の各証言及び成立に争のない甲第十七号証によると、控訴人一家は昭和十六年頃より東京工業大学に隣接する東京都目黒区緑ケ丘二九九一番地に居住し、同大学の敷地の一部を菜園として耕していたが、このことに関連して同大学管財課勤務の事務官前川友三郎との間に紛争を生じ、控訴人は昭和二十二年十一月下旬頃、警視庁防犯課に出頭して担当警察官に対し、右前川が同大学の資材を盗取した旨申告したところ、係官より所轄碑文谷警察署に対しその旨を通じ、調査方を連絡した事実のあることを認めることができる。また控訴人主張の頃、杉尾七郎、近藤利雄、山口国雄が何れも警視庁巡査、日野寿、松田治吉郎は警視庁警部、遠藤竜次は同警部補で、松田は碑文谷警察署長、日野、杉尾は同署詰、近藤、山口は同署緑ケ丘派出所勤務、遠藤は目黒警察署に勤務し、何れも東京都自治体警察の職員であつたことは、当事者に争がない。よつて以下控訴人の主張するような不法行為の存否につき逐次検討する。

一、いわゆる杉尾巡査の違法行為について、

(一)  成立に争のない甲第一号証、第五号証、第三十六号証の三によると、昭和二十二年十一月下旬頃、杉尾巡査が控訴人方を訪問して控訴人より前川の窃盗行為に関することを告げられたこと及び同巡査が当時前川の建築現場を調べに行つた際、西松方に立寄つたことは、これを認めうるけれども、同巡査がその後何等か不当な目的で右事件の調査を進めなかつたものとは証拠上断定し得ないのみならず、右西松に対し「控訴人が前川のことを警視庁に訴えた」と内報したことも確認できない。しかし仮りにさような事実があつたからといつて、同巡査が職務上の義務違背の廉により行政監督上の責任を問われることあるは別とし、そのこと自体は控訴人の権利を侵害する不法行為となるべき筋合ではない。

(二)  杉尾巡査が控訴人より面会を強要されて困るとの河野貞枝の訴を聞き、「面会を強要して来たら断ればよい。断つてもきかなければ駐在所えでも云いに行きなさい」と答えた事実は、被控訴人の認めるところであるけれども、同巡査のかかる応答はその時に当つての至極穏当な措置であつて、何等違法とされるべきものではない。(控訴人が来たら有無を云わさず警察へ突き出せとか、直ちに警察へ連絡せよ、とでも云つたのなら格別、控訴人は原審における主張を変え、当審では同巡査がこのように云つたとは主張しないのである。)

(三)  杉尾巡査が実際に河野貞枝等に対し「毛利が来たら派出所え連絡せよ。」と指示したというのでない以上(なおこのような事実は認められない)、河野等の訴によつて近藤、清水の二巡査が控訴人方に出動したのは、杉尾巡査自身の違法行為に基因するものとはいえない。

(四)  昭和二十三年九月十四日頃、碑文谷警察署の日野警部が同署において控訴人と面談したことは、控訴人の認めるところであり、成立に争のない甲第三十五号証の五及び原審証人日野寿の証言によれば、杉尾巡査は控訴人の訴により事情聴取のため日野警部に呼ばれ、同警部より「毛利さんが来られたが、毛利さんを知つているか。」と尋ねられたのに対し、「警視庁から視察せよと云われている人です。」と答えた事実を認めうる。そして同号証によれば杉尾巡査がこのように述べたのは、警視庁防犯課の斎藤巡査から、「控訴人が警視庁へ来た時の態度から注意を要する者のように思われるので調査されたい。」旨の電話連絡があつたためであつて、虚偽の事実を日野警部に告げたのではないと認められる。当審証人斎藤幸一の証言によつても右認定を左右するに足りない。なお同巡査が日野警部に耳打ちして同警部をだまし、控訴人を精神病者に作り上げた事実もこれを確認するに足る証拠がない。

(五)  碑文谷警察署備付の青色紙非監置精神病者名簿に、昭和二十三年十月十三日付で控訴人が非監置妄想多動官庁訪問癖として記載された事実は、当事者間に争がなく、右名簿記入の事務を直接取扱つたのは、同署防犯係巡査杉尾七郎であり、該名簿に松田署長及び日野警部の押印があることは成立に争のない甲第三十八号証の一、二により明かである。しかし同巡査が控訴人の主張するような不法な動機目的の下に、その職権を濫用してかかる記入をしたとの事実を認むべき証拠はない。同巡査は調査の結果、非監置精神病者視察規程に基き、控訴人を右名簿に登録すべき事由ありと認定してその登録手続をしたのであつて、かく認定するのも止むを得ない状況にあつたことについては、後に同巡査を含む碑文谷警察署員の違法行為についての判断をするに当り、これを説示する。

二、いわゆる近藤巡査の違法行為について、

成立に争のない甲第一号証、第七号証の一、二、第八号証の二、第十一号証、第十三号証、第十七号証、第三十六号証の四を綜合すれば、原審が原判決理由一の(三)及び二について説示したところと同一に認定しうるので、この部分に関する原判決理由を引用する。原審の控訴本人尋問において、近藤巡査が控訴人の右腕を掴み、コラと呼んだ旨の控訴人の供述は採用し難く、その他近藤巡査に不法な行為があつたことを認むるに足る証拠は存しない。

三、いわゆる碑文谷警察署員の違法行為について、

碑文谷警察署係官が、昭和二十三年十月十三日付で非監置精神病者視察規程に基く名簿に控訴人を非監置妄想多動官庁訪問癖と記載し、その原本を同署に保存し、謄本を警視庁に送付したこと、昭和二十七年九月二十日右規程の廃止と共に新に精神障害者保護視察規程が制定されるや、同署では控訴人を新規程による精神障害者とみなして旧名簿を襲用し、従前に引続き署員をして控訴人を視察せしめた事実は当事者間に争がない。

(一)  しかるところ、右非監置精神病者名簿への登録が、碑文谷警察署当局者において署員の非違失態を糊塗するため、控訴人を精神病者に捏つち上げて責任を免れんとする意図の下に行われた職権濫用行為であるとの控訴人の主張は、これを裏付けるに足る確証がなく、右は単なる控訴人の憶測にすぎぬものといわざるを得ない。

(二)  そもそも、非監置精神病者視察規程なるものは、大正六年一月二十七日警視総監の訓令(同年内訓甲第一号)により、非監置精神病者即ち私宅療養中の監置せざる精神病者並に現に私宅療養中でなくとも本人の言動その他により明らかに精神病者と認定し得る者(この認定に当つては医師の診断を要しない)等の監置せざる精神病者(又はその病歴を有する者)を対象として、これが防犯並に保護の立場よりする警察事務取扱の基準を定めたものであつて、改正前警察法(昭和二二年法律第一九五号)並に警察官職務執行法(昭和二三年法律第一三六号)が施行されて後も、東京都特別区公安委員会規程第一号により当分の間なお従前の例によるものとして引続き実施されて来たが、昭和二十五年五月一日精神病者監護法及び精神病院法が廃止され、新に精神衛生法が制定施行されるに伴い、旧規程は実質においてこれに添わない点があるとして、同法の趣旨に従い、精神障害者の動態を把握し、防犯的効果を挙げ、併せて保護の適正を図るために、昭和二十七年九月十五日警視総監内訓第七号を以て精神障害者保護視察規程が制定され(同月二十日施行)、旧規程を廃止したこと、非監置精神病者視察規程の趣旨とする所は、精神病者が自身を傷け、不敬を企て、その他公安を害する行為をなすこと防止するため、これを一定の名簿(厳密なる視察を要する事情ある者を甲号とし、青色紙を用い、然らざる者を乙号とし、白色紙を用いる)に登録して視察することとし、その取扱の手続を規制するにあつて、この非監置精神病者名簿に登録したときは、即時その謄本を警視庁刑事部長に提出することと定められていたが、右名簿は部外秘とされ、警察部外の者に対しては絶対に閲覧を許さなかつたこと、また精神障害者保護視察規程の制定も、ほぼ同様の趣旨に出たものであつて、右規程による精神障害者とは、一般には精神衛生鑑定医の診察の結果、精神病者、精神薄弱者、精神病質者に該当し(但し入院中の者を除く)、且つ保護のため視察を必要とする者を指すのであるが、旧規程による被視察者は医師の診察を要せずしてこの規程による精神障害者とみなして旧名簿を襲用し、引続き視察を行うべく、視察は状況により直接又は間接に適当且つ穏健な方法を用い、特に精神障害者の特異な感情に注意し、徒にこれを刺激昂憤させ、又は被視察者及び親族等関係者の名誉を傷けることのないよう注意すべき旨を規定しているのである。以上の諸点については、成立に争のない甲第三十二号証、第四十三号証、第四十四号証の二の一ないし七、同号証の三等の資料により、これを窺い知るに十分である。

(三)  しかるところ、警察法(改正前及び改正後の)並に警察官職務執行法によれば、警察は個人の生命身体財産の保護に任じ、犯罪の予防鎮圧その他公共の安全と秩序維持に当ることをその責務とするけれども、法の規定する場合の外、強制力を行使することは勿論のこと、みだりに個人の私的活動を探索し、私生活の平穏を脅かす等、個人の権利自由に対する干渉にわたるが如き手段を施用することは許されない。しかし、このような不当な方法によらず且つ法規に牴触しない限りにおいては、警察に課せられた本来の責務を達成するに必要とする非強制的措置を採るのは何等妨げないものと解しなければならない。故に、防犯並に保護の必要上、異常な行動とか特殊な事情より判断して精神病者若しくは精神異常者と認められる者を、警察内部の名簿に塔載し、その者の人格または自由を犯すことなく、適当な視察を行うというが如きことは、前記警察の使命に照らし、当然に許されて然るべきものというべきである。

(四)  ところで、控訴人は何が故に前記の名簿に登録され、視察を受けるに至つたかを見るに、その経緯は凡そ次のとおりである。即ち、成立に争のない甲第五号証、第六号証、第八号証の一、二、第三十五号証の一、三、四、第三十六号証の一ないし五等によれば、碑文谷警察署の防犯係巡査杉尾七郎は、昭和二十二年十一月頃、警視庁防犯係の斎藤巡査より控訴人が警視庁を訪問した際の態度は普通ではないらしく、注意を要するように思われるので、精神病者として登録すべきか否か調査されたしとの電話を受け、その頃控訴人を訪問したところ、「近所の人で私の言うことを聞かない者があるが、結局かような人は天罰を受ける。」と告げられ、控訴人が可成りに普通人と異ることの印象を受けたこと、同巡査はまた近隣の河野貞枝等より、控訴人が面会を強要して困る、同人は非常に恐しい人で言うことを聞かないと天罰を受けるといつて脅かす旨の訴を受けたこと、前川友三郎に関する窃盗の件につき控訴人を取調べた西山刑事より「頭の悪い者を突然連れて来ては困るではないか。」と云われたこと、控訴人が「配給のときに怒鳴る」由も聞き込んでいたこと等の事実があり、また控訴人が近隣の家に上り込み、屡々長時間に亘り、時としては深更に至るまで執拗に話し込んで家人を困却させ、子供を背にする隣人に対し「嘘を云うとこの子の踝が折れる」と云つて脅し、その他神がかり的な言辞を吐いたこと、碑文谷警察署の近藤巡査に対しても、原判決理由中一の(三)及二の事実に対する説示の如き行動に出た上、格別不当な行為もしなかつた同巡査に対して「人権蹂躙だ、検察庁に告訴する」と申向けたこと及び控訴人がその頃頻繁に警察署その他の官庁を訪問したこと等の事実が認められる。このような控訴人の言動並に諸般の状況に徴すれば、杉尾巡査その他碑文谷警察署の担当係官が、控訴人の性格、行動に著しく常人と異る傾向があることを看取し、控訴人を精神病者と判定して非監置精神病者名簿に非監置妄想多動官庁訪問癖として登録し、次で精神障害者保護視察規程に基く精神障害者として取扱つたのも、当該状況の下においては保安上一応止むを得ない措置であつたと認めざるを得ない。

(五)  次に視察の方法であるが、碑文谷警察署の係官は、主として控訴人が警察署その他の官庁を訪問した際における控訴人の挙措態度を照会して知得する程度の間接的方法を取り、随時にまたは定期的に、控訴人を尾行したり、その私宅又は近隣について調査したりするようなことなく、控訴人自身又はその家族をして控訴人が部外秘たる前記名簿に登録され、これに基き視察されている事実を感知させたことも、嘗て存しなかつたことは、当審証人荒井竹三郎、三熊幸三郎の各証言により明らかである。(控訴人が名簿登録等の事実を覚知したのは、検察庁において自ら捜査記録を閲覧した際のことで、それ迄は全然これを知らなかつたことは、控訴本人が原審で供述するところである。記録三一一丁参照)従つて右名簿登録並に視察の結果、控訴人の人格権が侵害され、その自由若しくは名誉が損傷される現実の結果を惹き起した事実は何等認め得られないのである。

(六)  以上の認定に牴触する原審における控訴本人尋問の結果は採用し難いところであり、その他この認定を覆すべき証拠はない。

(七)  碑文谷警察署において控訴人に関する非監置精神病者名簿の謄本を警視庁防犯課に送付したのは、当事者間争ないが、それは単なる警察内部における事務上の連絡にすぎず、それが外部に公表された訳ではないから、そのことによつて控訴人の人格名誉を侵害したものとはいい得ない。

(八)  碑文谷警察署員が検察庁に対し、控訴人主張の如き報告をした事実は証拠上認められず、成立に争のない甲第四号証によれば、かような報告をしたのは検察事務官河野円作であつて、同署員の関与しない事柄であること明らかである。

四、いわゆる山口国雄巡査の違法行為について、

成立に争のない甲第三十九号証の二によると、碑文谷警察署緑ケ丘巡査派出所の山口巡査が前川友三郎の訴により、控訴人が東京工大の敷地内に植えられた樹木を工大当局に無断で勝手に引き抜いているものと誤解し、前川と共に現場に赴きこれを制止した事実は認められるが、通行人の面前で同巡査が控訴人一家の者を怒鳴りつけ、これに恥辱を与えたとの点については、成立に争のない甲第四十七号証の二(証人毛利成一尋問調書)の記載内容を措信せず、他に充分の証拠がないので、これを認めるに由なく、原審証人妻川好子の証言及び前記甲第三十九号証の二によれば、同巡査は控訴人に対し、何故木を掘り返すかと尋ねただけで、控訴人に恥辱を与えるような表現をしたことなく、控訴人に怒鳴つたのは前川友三郎であることが認められる。結局控訴人の主張する山口巡査の違法行為は認定できない。

五、いわゆる遠藤警部補の違法行為について、

(一)  遠藤警部補が昭和二十四年七月頃、東京地方検察庁福島検事の命により、控訴人の提出した告訴事件につき関係者を取調べてその供述を調書に録取し、同検事に回付したことは被控訴人の認めるところであり、成立に争のない甲第八号証の一によれば、同警部補において同年七月九日右関係者の一人である河野貞枝を取調べ、「交番から二人の巡査が来り、毛利が田中の家に上り込み、どなり散らしている所へ顔を出しました。毛利は真夜中雨中に提灯をつけて種蒔きをしたり、お祈をしたり、全く近所ではオチオチして夜も休めません。どうぞ毛利としを精神鑑定をして処置して載きたい。」との旨の供述を録取した調書を作成した事実を認め得る。しかし、同警部補が控除人の申入に耳をかさず、ことさら一方的に河野等の供述に基いて検事に報告したとの事実を認むべき証拠はない。

(二)  成立に争のない甲第十号証の一、二、第二十一号証、第三十六号証の三等によれば、遠藤警部補が前記告訴事件の取調に当り、河野貞枝をして、先に河野貞枝外十二名が原告田村シゲ被告毛利成一間の東京地方裁判所昭和二十三年(ワ)第一六二号家屋明渡請求事件に関し、同裁判所第四民事部裁判長に宛て、控訴人の異常なる性格行動を具体的に記載して提出した同年九月二十一日付、上申書の写(右写の末尾に河野貞枝の署名拇印が存する)を提出させ、これを右告訴事件の証拠品として領置した上、同人を差出人とする領置調書を作成し、共に検察庁に送付したことが認められ、また右写の作成に関し、警察署員が便宜筆写の手伝をしたもののようにも思われる節があるけれども、遠藤警部補が控訴人を精神病者に捏つち上げて、検察庁の捜査を誤らしめんとの目的を以て、その職権を濫用し、右証拠品の領置手続をしたとの事実は、本件に顕われた凡ての証拠によるも、到底これを肯認するに由がない。

以上説明したとおり、控訴人が東京都自治体警察に属する警察職員の違法行為ないし職権濫用行為によつて、その人格並に名誉を毀損せられたとの控訴人の主張は凡てこれを認め難く、これを理由とする本件損害賠償の請求は容認することができない。それ故同一趣旨の下に右請求を排斥した原判決は相当であつて、本件控訴は理由がなく、控訴人が当審において拡張した請求部分も亦失当につき棄却を免れない。よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十五条に則り、主文のとおり判決する。

(裁判官 薄根正男 奥野利一 山下朝一)

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